おりろぐ

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「置かれた場所で咲きなさい」なんて信じなくていいし、高校教師も人間なんだって気づいた瞬間


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こんにちは

今日は、おりの自論を話したいと思ってます。

 

自論というかタイトルにもあるんですけど

おりは「置かれた場所で咲きなさい」という言葉があまり好きではありません。

 

というかむしろぶっちゃけすごい嫌いです。

 

今日はどうしてこの言葉が嫌いなのかについて持論を話して、最後にそれをおりに伝えたおりの高校時代の先生の話をしていきたいと思います。

 

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この言葉を知った経緯

 

この言葉を初めて聞いたのはおりが大学一年生のときです。

 

当時おりは高校の頃の先生とたまに連絡をとっていました。

 

割と物事をはっきり言うタイプの先生で、勉強を頑張っていい大学へ行けば幸せになりやすいぞ、みたいな

そういうことをよく言う進学校にいそうな感じの人でした。

 

高校を卒業して、浪人してた時にも時たま勉強を教えてくれてお世話になった人だったので

 

おりが浪人しても志望校には合格できなかったということは先生も知っていました。 

  

そしてその先生に、仮面浪人して今年も受験したがそれでもやっぱり志望校には合格できなかったという話をメールで送りました。

 

先生は、メールの返信の中で今度はもう大学受験に固執しないで次のステージで周りを見るようにしたほうがいいみたいなことを言ったのちに、タイトルの言葉を紹介されていました。

 

「確かに今その大学にいるのは不本意かもしれませんがそれでも、置かれた場所で咲きなさい」と

 

 

今から思えば先生は、いつまでも過去を見ないで前向きに頑張れ、ぐらいのつもりで言ったのだと思っています。

 

それでも、当時のおりにとってはすごくショックでした。

 

 

 

なぜこの言葉が嫌いか

 

それは「置かれた場所で咲きなさい」という言葉から「もういい加減にあきらめろよ」みたいなニュアンスを感じたからだと思います。

 

いい加減現実を受けいろよみたいな、なに子供みたいに嫌々言ってんだよみたいな、そういう風にこの言葉を受けとってしまいました。

 

そもそも置かれた場所で咲くっていうていうのはもうこれ以上場所を変えないということです。

 

逆にいればこの場所にいつづけなくてはならなりません。

 

おりはそんなの絶対嫌でした。

 

そもそもこんなところにいつづけないといけないなんて運命を絶対受け入れたくないし、やっぱりどうにかして今よりいい環境へ移りたいってそう思っていました。

 

おりはそんなの嫌だし、無理して強がったり、もしくは諦めて今の場所にいるよりかはどうにかして環境を変えたいって悩んでました。

 

だからおりは結局大学編入という方法を見つけて、置かれた場所で咲かずに さっさと環境を変えました。

 

今から思えば大正解だったと思ってます。

 

www.oli-log.com

 

 

私たちは植物じゃないんで、別に置かれた場所で咲く必要なんかないです。

 

場所も環境も変われます。

 

咲きたいところで咲けばいいです。

 

環境を、自分を変えましょう。

このご時世いたくないところにいる必要なんてないって思ってます。

 

おりもそう思って大学を変えました。

 

今頃、先生の言葉を信じてあの環境にずっといたって

結局、あってもなくてもいいような、そんな不完全燃焼な大学時代をすごしていたとおもいます。

 

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高校教師だって普通の人間

 

それから、この言葉を最初受け取ったとき、ああ、なんだ結局高校教師も人間なんだなって思いました。

 

当時、おりはその高校教師のことはかなり信用していました。

 

 

 

おりもその教師が好きだったし、その人がそんなに言うのならっていうところもあって勉強を頑張っていた節は正直あります。

 

だから、多分当時のおりとしては、おりの受験がうまくいかなかったという報告に対しては、「それでももっと頑張れ」って励ましてもらいたかったんだと思います。

 

なんなら甘えてるって思われるかもしれませんがどうやったら次は成功するのか一緒に考えてほしかったのかもしれません。

 

それが帰ってきた答えはもういい加減諦めたどうだ、というような回答でした。

 

いやまあ大人になった今ならわかります。そりゃ先生だって自分の仕事があるし、いつまでも卒業生の相手なんてできないし

 

それにもう大学受験にも固執できない年齢なのだから、今度は今の環境を楽しめというのも分かります。

 

それでも、それなりに信用して、しかも当時は教師って人生経験豊富な雲の上のすごい人ばかりだと思っていたおりにとってはこの返しはものすごいショックでした。

 

あれほどいい大学へ行けと言っていた先生の言う「置かれた場所で咲きなさい」は 

 

お前はもう、現状を諦めて、不本意な気持ちをもってずっとすごしていけってそう言われているような気持ちにさせられました。

 

 このあと、何となくその先生に対する気持ちも覚めてしまいました。

 

正直に言えばおりがここまで悩んで苦しんでいてもその程度のことしか言えないんだって思ってしまったからです。

 

そして、先生の価値観と自分の価値観が違うんだってことをはっきり認識したからだとも思います。

 

だから、それ以後、その高校の先生とはもう連絡は取ってないし、大学を変えたことも報告していないですけど

 

できた人で他人を親身に思いやれる人なんてほとんどいないし、教師(他人)にそれを期待しても仕方ない。

 

自分の悩みはできる限り自分で解決するしかないって

 

そう気づかされるきっかけにもなりました。

 

 

そんな感じの自論でした。(もはやただの愚痴みたいな記事ですけどね笑)

 

それでは