おりろぐ

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この世界に涼宮ハルヒなんていないっていう憂鬱


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涼宮ハルヒは折原が中学高校の頃に大好きだったアニメでした。

 

もともとアニメから入って、あまりの面白さに一期を全部見るだけに飽き足らず

レジに出すのが恥ずかしいなって思いながら原作の小説を買って、結局最終巻以外全部集めたのを覚えています。

 

原作のライトノベルも独特の回りくどいながらも作者の知識量の豊富さを感じさせる文章が好きでした。

難解なのに自然と読めてしまうって感じだったように記憶しています。

 

さすがに今はもうハルヒを読み返したりはしませんが、それでも最終巻は、これでハルヒの世界がおわっちゃうんだなーて思うとなんとなくまだ読めないでいます。

 

 

映画(消失)はつい最近機会があったので見ました。

絵がすごいきれいになっていて、話自体はもう忘れてしまっていたのですが、学生時代の自分を思い出してなんとなく初めて見たのに懐かしい気持ちになりました。

 

 

 

ハルヒ特有のあの、学生時代特有の無気力さというか寂しさみたいなものはハルヒ達と同じ立場の学生のころからあこがれてました。

それから、繰り返される日常に飽きて、非日常を求める気持ちを学生時代のおりも持っていたので素直にそういう非日常(中途半端にではなく漫画とかアニメレベルの)がたくさん起こるような日常をおくれたらいいのにって思ってました。

 

 

 

中学の頃にはきっと高校になればハルヒみたいなどこか非日常な女の子が現れて、私を振り回しつつもどこか楽しいところへ連れ出してくれるのかなあ、なんて思ったりしながらハルヒを読んでました。

 

それは無理だとしてもそれでも、普通の人とは違うような状況に巻き込まれて普通の人とは違う楽しい環境にいたいって思ってました。

 

でも当たり前ですが高校生になってみても、神様みたいな女の子が私を連れ出すなんてそんなことないわけです。

 

そういう日常にあこがれていましたがそれでも徐々に、そんな日常が来るわけないって悟り始めます。

 

どんなにはみ出そうとしてみたって結局は、誰かが以前経験した道の上を歩く場合がほとんどなんだなって知り始めます。

 

 

高校の頃、もしもおりがひとりで悩んでたら助けてあげるなんて言ってくれる女の子がいました。

そういってくれたことについて素直にうれしかったです。

 

でも、私が大学になって本当に一人で悩んでいた時に別に助けにきてくれたわけではありませんでした。

 

でもそんなもんなんだなって悟りました。

結局みんな自分が一番だし、他人のためにそんなに尽くせる人なんてそうそういないんだなって知りました。

 

本当に辛いときから抜け出したり、本当に楽しいことを見つけたいのなら

人が助けてくれたり連れ出すのを待っていても仕方ないんだなって、大学3年生ぐらいでおりは知りました。

 

ちょっと寂しいけど仕方がないことだし 

もっと早く気付くべきだったのかもしれません。

 

 

 

 

そりゃ確かにハルヒみたいな子が周りにいて何もしなくてもその子が自分の生活を楽しくしてくれるのなら、それが理想なのかもしれません。

しかも、そんな日常が普通の人とは違う非日常ならなおさらよかったでしょう。

 

 

でも、普通の人にはそんなハルヒみたいな存在なんて周りにいないわけで、いたとしても我の強い人の都合のいいように振り回されてた、なんて場合がほとんどです。

 

そもそも、誰かに楽しくしてもらおうなんて考え自体が甘いんだろうなって思います。

 

自分一人でも自分を楽しませることができるようになって初めて一人前なんでしょうね。

自分の気持ちを楽しくするのに人の力を借りないと無理だなんてそんなんじゃまだ子供なんだろうなあなんて。

 

この世界にはハルヒなんていないのだから

 

待ってるだけじゃなくて自分で行動しなきゃなって思います。

 

ということで、今日も折原はブログを頑張ろうと思います。

 

現実を少しでも変えるためにも

 

それでは